価値観は先入観、生きてきた証
子どもたちの笑顔がマスクで隠れ
写真におさめられなくなって半年が経ちました
この半年、マスクに隠れていない笑顔の写真は何枚残せたでしょうか
学校からは二日にわたり
感染差別はしないようにしましょう
というメッセージが届きました
子どもたちは
6月に学校が始まった時に
過去に起きた感染差別を
具体的事例にあげて感染差別について考えています
大人よりずっとしっかり考える機会を与えてもらっています
子どもたちは生徒会で
「『今こそ』あたたかい かかわりを」
と発信したようですが
そんな状況にしてしまった大人が反省して
あたたかい かかわりを
する時ではないかと…私は反省しています
私と関わる子どもたちの中でも
「嫌!マスクしないでこっちに来ないで!!マスクはするべきよ」
「手を洗わないなんてコロナになっても良いの!?」
「密!離れて!!!」
と日常会話の中で言っている子もいます
きっとコロナ社会を経験しなかったら
このような価値観を持った子どもはいなかったでしょう
コロナに限ったことではなく
私たちは育てられた環境によって実に様々な価値観を持っています
大人になるまでに植え付けられた先入観とでも言いましょうか
一人一人が違う価値観を持っているのは
経験値の差
もちろん、社会にでて
お互いが心地よくコミュニケーションを取るための最低限のマナーはあります
自分の持っている「べき」を目の前の人に押し付けるのではなく
目の前の人の「べき」を受け入れる人間になれるように
私は勉強中
意見の違い(価値観の違い)を
生きてきた人生の違いだと思ったら
その人がどんな人生を送ってきたのか興味がわきます
自然の営みはいつも変わり無く
人間とは関係ないところにあり
蝶であれば
人はその姿を愛でて
人の考える分類の「蛾」であると
人は忌み嫌う
カビも人にとって有益であれば
発酵
害が及ぶものであれば
腐敗
同じものを見ていても見る人によって
感じるものが違います
人というのはそれぞれ海で隔てられた孤島に一人で住んでいる
そんな狭い価値観の世界にいると感じています
お互いがその狭い孤島にいて
コミュニケーションを取るために
えっちらおっちら舟をこいで
繋がりを求めている感覚を持ったときに
「あたたかい かかわり」
ができるような気がします
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